まずは自分の感受性を愛することから始めませんか?きっとそこから心が楽になり幸せが見えてきます。
2017.08.01(火)
何かに気づくにも「時」があるのですね。
最近、北海道をのんびりとレンタカーで廻ってきました。広い大地の中を真っ直ぐに伸びた道路
を走りながら本当にゆったりとした感覚に包まれていた時、ふと「あれ!!もしかしたら私、間
違っていたかもしれない」という思いが湧き上がってきました。
それは物心がついた頃からずっと気になっていた「背中の小さな痛み」の訳を解りたいという
一心で、従来の心理学を学び、体の声を聴くハコミを学び、最近はマインドフルネスやHITキャ
ラクトロジー心理学、禅や瞑想、野口整体の活元等学びながら、「背中の痛みの解明」が私自身
のオリジナルなセラピーに繋がると深く思い込んでいたのですが、それが間違っていたかもしれ
ないという感覚に襲われてしまったのです。
さすがに「う~ん」とショックの大きさにグラグラ狼狽える自分を感じていました。
半世紀以上もこの「背中の痛みの訳」を考え続けてきたのですから。
でも気づいてしまったのです。
以前のブログで「胎内記憶」のことを書きましたが(私の誕生前後に15歳で病に臥せっていた
叔父の死が重なった時の記憶です)、たとえそれが私の真実の記憶であったとしても、私の場
合は状況としての記憶だけで感情の記憶が無いのです。(体の感覚は数か月前に突然出て来ま
したーブログ「私のHITキャラクトロジー心理学」をご覧ください)
母親始め周囲の大人達の悲しみ一色の感情に圧倒されたのか胎児であった私は極度の緊張感で
「ぎゅーっと体を縮めて固まってしまった」のが「痛み」として残っていただけで、それを
「この痛みは何を意味しているのだろうか?」といくら頑張って考えてみても永久に答え
(心が自由で楽になる)は見つかるはずがないのではと気づいたのです。体の中の小さな一点
の痛みばかりに囚われていたことの方が問題だったのではと。(これもまた今の私自身の推測
に過ぎないのですが)
「体の声を聴く」と言いながら、「体の痛みに寄り添って聴けていなかったのです」
「痛みを聴く」というのは「何故こんなに痛いことになってしまったのだろう?」と原因を
見つけることでは無く「痛みの下にある、抑えてしまった感情を感じる」ことなのです。
頭では良~く理解していたつもりでしたし、他の方には「体はどんな感じ?」「体を感じて
いるとどんな感情が出てくるかしら?」等とお聞きしたりもしていましたのに。
それが私にはどんなに残念で情けなくても、まして言い訳しても仕方ありません。気づいて
しまったものは気づいてしまったのです。
「背中の痛み」を逃げずに感じていると体の感覚は「窮屈で苦しい・圧迫感がある・心臓が
ドキドキする・手足が縮まる感じ」等々。そしてその感覚を感じ続けていると出て来たのです
胎内で感じていた感情が。「怖い・不安・寂しい・一人ぼっち・怒り・悲しみ・無力感」等々。
でもそれだけでは無いようです。胎児の私は「困らせてはいけない・おとなしくしなければ・
母に喜んでもらいたい」等の感覚もあったようなのです。
そして本当の願いは「ほんわか温かくて、ゆったりとリラックスしたかった・安心感を感じた
かった」というものでした。
胎児でも母親始め周りの状況を良~く把握できているのです。まだ言葉の無い世界なので感覚
として感受するのでしょう。私の場合は周囲(特に母親)が悲しみで一杯だったので、困らせ
ないようにと自分の感情を抑圧してしまったことがトラウマになってしまい、その後もネガティ
ブな感情を感じ切れずに嫌なことや悲しいことも「大丈夫、大丈夫、大したことじゃない」と
自分に言い聞かせたり、楽しいことを見つけてはすり替えるという反応をする子どもになって
しまい、自分の本当の感情は勿論他の人の感情に対しても鈍感で、自分なりの推察をするという
思考優先の理屈っぽい人間に育ってしまったのです。
ただ、同じ状況の中にあっても子どもの感受性の違いで、どう感じどう受け取るかでその後の
成長は変わってくると思います。
人生に大きく影響を与える幼少期までに、全て満たされて育つというのも稀だとは思いますが
満たされなかった不満等を取り戻せる反抗期の無かった私のような子どもが成人した後、自分
のリズムやバランスが取り辛かったり、人間関係他いろんなことがスムーズに運ばないことが
多いようです。
今、生きているのが辛くて仕方ない方ばかりでなく「一生懸命頑張っているのに何となくうま
く行かない・何故かいつも苦手な人がいる・子育てに悩んでしまう・そこそこ幸せだけれど、
もう一つすっきりしない」等すごく不幸でも無いけれども、何処か引っかかっている方、多分
小さな痛みを感じ切れていないのだと思われます。頭で言い聞かせて納得させても体の中の
筋肉に感じ切れなかった感情が残っているのです。丁寧に感じて本当の願いに気づいてあげる
と体が緩み、スペースが出来ると心も楽になって、今よりもっと自由に新しい選択が出来る
ようになりますよ。
「私の人生はこんなものよ→もしかしたらやれるかもしれない→本来の自分を生きたい」に
変化する可能性は多いにあります。
まずは自分の感受性という宝物を愛して、体の小さな痛みを丁寧に感じることから始めて
みませんか?
がまちゃんと二人、あなたに合ったやり方を一緒に探しながら、あなたが「もう充分幸せで
す」「思いっきり自分らしい生き方をしています」という感覚を持って貰えるまで応援します。