セラピーから行動へ移ること
2017.05.22(月)
本日は私の考えている「スペース・わ」のセラピー・プランのお話です。
セラピーそのものはエミちゃんが行い私はそのアシスタントの役割に過ぎませんが、私なりに考えて
いることがありますので、運営者の一人として僭越ではありますがご紹介させていただきます。
それは「でも」から「では」へのお話の転換をどこかで行えたらということです。
心と体の不調に悩んだり苦しんだりしている方の場合、多くは「言えなかったこと」や「出来なかった
こと」が体の中に蓄積されており、そんな思い・長い間の緊張感が「阻害要因」として今の体全体に
「悪作用」していると私は考えています。個人的ではありますがあるウツ病の方と40年近くおつきあい
してきた私の実感でもあります。何かをしようとするとそれを「させまい」とする力が働くようなのです。
そこで最初はそんな「言えなかったこと」「出来なかったこと」をお話していただきたいと思います。
それはある場合は何十年も積み重なったものでしょうから際限なく次から次に出てくると思います。
そんなモノが出尽くすまで、何度も同じ繰り返しであっても私達は「聞き役」に徹したいと考えています。
「でも」「でも」「でも」・・・それは自分でも正体のつかめない、他人には理解できない、そして
苦しい思いの吐露ですから時間がかかるのは仕方がありません。「父」が「母」が「兄弟」が「友達」
が「同僚」が「上司」が「憎い」「悔しい」「怒っている」「情けない思いだ」「自信が持てない」
「人が怖い」などなど、体の中に押し込められた「感情」は今ほとばしり出てきているのだと思います。
それはそれでとても大事なことなのです。
しかしその様々な「でも」がそこで停まってしまっても困る、というのが私の考えです。
苦しい、どうして良いか分からない、そこを何度グルグル回っても先には進めない、と私は考えます。
さて、ここから先が私の提案です。
自分を感じ、気持ちを吐露したら、次に「では」と一歩前に進んでいただきたいのです。
「私は何をしたいのだ」「私は何になりたいのだ」、つまり「では、・・・私はどうする」と自分
に問いかけて欲しいのです。そこは先の見えないリスクに満ちた世界ではあります。成功するかも
知れないし大失敗するかも知れないという恐怖もあります。
しかしそこを乗り越えない限り「展望」は開けてこないのです。せっかく生まれてきた人生をこの
ままでは終われないという思いに自分自身を賭けてみる価値があるのではないのでしょうか。
もしそうお考えになるのなら、私達は全力でサポート致します。最後まで責任を持つ、を私は「ス
ペース・わ」の使命と考えており、エミちゃんともそこだけは一致しています。