えみちゃん・がまちゃんとみんなの広場

存在するだけで役に立っているということ

2017.11.18(土)

 先日、HITキャラクトロジー心理学のプロセスグループ(感情ブロックを解放する

ワークショップ)に参加しました。

メンバーそれぞれが今課題に感じていることをシェアし、ファシリテーターが応答する

中で、個人を超えて全体の感覚が響き合い、一人では解放出来なかった感情も乗り越え

手放していけるというものです。

 

同じようなワークショップは何度も体験していましたし、私の誕生時前後のワークにも

何度もトライしていましたが、その部分だけが何十年経ってもすっきりせず、自分の内

からも「なんて、しつこいのだろう!」「過去のことより今に目を向ければ!」「もう

そんなことは諦めた方が良いよ!」「他にすることは無いの!」等の声も聞こえてくる

のですが、「どうしても腑に落ちるまでは止められない!誰に何と言われても、もう

これで良いというまでやりたい!」という声の方が勝っているのです。

 

物心ついた頃からずっと背中の1点が痛くて、医学的には悪いところは無いと言われるのに

何故痛いのか?それを解明したいという願望がずっとありました。それが誕生前後の緊張

の強さゆえの痛みが体の奥深くに残っていたと解っても、本当に癒されていないと、

いつまでもこういう感覚(不全感)から脱け出せないのです。

 

今回のプロセスグループでの私のシェアは性懲りもなく、また「誕生時の緊張を癒したい」

というものでした。

ファシリテーターはその時の感覚をしっかり感じてくれ「あなたが生まれた時に隣の部屋で

15歳の叔父さんが亡くなり、みんなが泣いていたのを自分が生まれてきたことが悪かった

のかと誤解し、困惑以上に恐怖さえ覚えたのでしょう」

そして「あなたが生まれたおかげで、みんなが安心して泣けたのですよ」と言われたのです。

 

この「あなたが生まれたおかげで、みんなが安心して泣けたのですよ」という言葉に、これまで

感じたことがないくらいの嬉しさがこみ上げてきました。

 

「存在するだけで充分人の役に立っている」と思え、長い間背中にあった針の穴ほどの固い1点

が溶けた瞬間でした。体中の力が抜けていくのがわかりました。

 

自分でもこんなに自己肯定感が持てていなかったことにも驚きましたが、私の場合は何が出来る

とか、認められるとか、愛されるとかでは無く「只、存在するだけで大丈夫!」という感覚が真に

腑に落ちることだったのです。

 

「只、存在するだけで良い!!」というのは誰にとっても全く当り前のことなのですが、私の

ように、生まれたばかりの赤ん坊の時だけでなく、小さな子どもはほんの些細な叱責や禁止でさえ

自分自身であることに不安を覚えて、周りに対して防衛反応を身に付け、それが癖になって自由に

生きられなくなってしまうのです。頭では解っていても体の奥深くに残ってしまうのです。

これは一人ひとり全く違います。本人の感受性や環境もありますし、それ以上に今生での課題を

持って生まれているのではないかという感じを私は持っています。

 

「スペース・わ」ではそんな皆さんが抱えている色んな辛さや痛みの側にそっと近づくことをベースに、

苦しみの源を私達も一緒になって探し出し、その部分の「癒し」を体中で味わうことで、本来の自由で

大らかで伸び伸びとみなさんが生き始められるまで、アシスト致したいと思います。

そうです、誰もが持っている「いのち」の強さを信頼して生きていくことを大切にしていきたいのです。

 

 

 

 

この記事を書いた人

えみちゃん
・何とか普通の人として生きたいと願いながらも、物心ついた時から何故か普通では無いと深く思い込んでいた話
・ずっと持ち運んで来た胎内記憶?の話
・それ故の長い長いストーリーから脱出する為に苦しい思いをして来たという話
(私自身もはっきりした自覚を持てなかったのですが、心が窮屈で不自由だったと気づいたと同時にしっかり自分を生きて来なかったと漸く気づきました)
・子育て奮闘記(息子が5歳の時に驚くほどの反抗に会い、その後試行錯誤しながら必死に関わってきた話)
・等々今に辿り着くまでの個人的な体験談も含め、胎児→乳児→幼児と成長して行く過程での母親始め周囲の大人達の関わり方・それ以前に大人が自分に気づくことの大切さの話
若い皆さんに少しでもお役にたてそうな、人として共通するからだ・こころ・魂の話等、今感じたり考えたりしている事を少しずつ載せていきますね。

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