自尊心についての考察
2017.11.03(金)
今回はセラピーから少し離れて私なりに「自尊心」なるモノについて考えてみました。
人間なら誰でも持っている「心の誇り」についてです。その「コア」になるのが「自尊心」では
ないかと私は考えています。それはどんな風であれば良いのか?、何がそれを阻害するのか?な
どについて思いを巡らしてみたのです。
特に何の問題もなければ良いのですが、私なりに考えると次のような陥りやすい隘路(あいろ)
があると思います。
①周りの人達の様々な圧力に抑えられて「自分はダメな人間ではないか」と凹んでしまうこと。
劣等感などにさいなまれてしまうこと。自尊心の放棄または奥底にしまいこまれた自尊心。
②周りの色んなことが面倒になり、「正しいのは自分だけだ」と思い込んでしまうこと。
ある意味の逃避?思考停止に陥ってしまうこと。傲岸不遜(ごうがんふそん)?になりかねな
い危険。
③自分を優れた人間だと思い込んで「ああしろ、こうしろ」と自分の考えを押しつけてしまう
こと。今度は人を凹ませる側にまわってしまうこと。強者の論理に。
いずれもあまり良いことだと私には思えません。特に心が凹んでしまっている人には「ガンバレ
そんなことは絶対にないヨ」と応援したくなります。
たとえてみれば①は「空気が抜けて凹んだボール」、②は「角があるいびつなボール」、③は
「空気を入れすぎて固くなりすぎたボール」といえるかも知れません。
それらはいずれも「不自然な状態」ではないかと私は考えます。「自尊心の使い方が間違って
はいないか?」と思うのです。
凹まず、偏らず、圧力にならず、適度な弾力性をもって弾むボールになるべきではないかと。
「ありのままの自分を認め、凹んだときは勇気を出して行動し、しかしヤリすぎず」そんな
「自分らしい生き方で元気に」と「自尊心」をエネルギーとして正しく使っていけたらと思う
のです。
まあそんなことを今現在、私は考えそして夢見て?いるわけなんです。
心の健康の最深部には「自尊心」が深くかかわっているのではないか、それが今回私が提起
したいこれまであまり触れられていないポイントです。そこに頑なになった心の問題解決の
糸口があるのではないか?。
その解明や理論づけなどにはまだまだ多くの人の多方面にわたる研究や努力が必要なので
しょうが、そこを期待したいと思うのです。意外と「コロンブスの卵」かも知れません。
もちろん私もさらに確証を求めて試行錯誤してやっていくつもりです。
今回はそんな「提起」をさせていただきます。希望をもって行こうではありませんか。
続報はそのうちに・・・・。
注【隘路・アイロ狭く険しい道 ;傲岸不遜・ゴウガンフソン思いあがって謙虚さのないこと】です。